狩江人かりえびとに告ぐ

そらに近い段々畑から望む狩江ふるさとは、養蚕ようざん(家屋)の二つの屋根と民家が所狭しと軒を連ね、路地を人々が行き交う。青き入り江には幾艘もの船と、真珠筏が浮かんでいる。鯉のぼりが悠然と海と空の間で泳ぐ。こんなおだやかな風景を見ていると、先人から連綿とつながれてきたこの集落むらが、このまま永遠に続くのではないかと、錯覚しそうになる。

 しかし地域のあらゆる産業が斜陽化し、少子超高齢化社会になった現在いま、集落はどうあるべきであろうか。その結論が見いだせないまま今日に至った。

 「守りたいものがあるか?」その答えは集落の歴史の中に刻み込まれている。男たちが戦地におもむき、人手が不足した時代でさえ、女たちがつなぎとめた大切な祭りがある。一度途絶えつつも、蘇った盆踊りがある。これらは老若男女、地域あげてともに支えあい、創りあげた地域文化の結晶である。故に口説き太鼓の音や、秋風に御旗の竿のきしむ音は、狩江人かりえびとの遺伝子をゆさぶり覚醒かくせいさせるのだろう。

 蜜柑の苗をひたすら植え続ける老農がいる。「誰のために」ではなく、「次の世代の誰かに」ひいてはこの集落のためだという。万年青年と、はばからない彼らの姿に、いったい集落の限界とは何だろうとさえ思う。

 だが、集落がこれまで経験したことがない、厳しい時代である。こんな中で私たちは常に明日への希望を持ち、この集落を次代につないでいこう。叡智えいちを寄せ合い、ひとり一人が大切にされ、心地よく歳を重ねられる地域社会を創ろう。

狩江人に告ぐ・農を生業なりわいとする者は、傾斜地さごを開き、石を割り、積み上げたこの段畑を讃えよ。
りょうを生業とする者は、「千古不伐せんこふばつ」と守り続けた魚付きの林を子や孫に語り継げ。
あきないを生業とする者は日向(宮崎)まで、しま(絣)を売り歩いた狩濱商人にならえ。
たくみを生業とする者は、山深く眠る大石積みを遺し、築港ちつこうわれた職人の技に学べ。

 郷土の先駆者、源界法印げんかいほういん(天神様)が種をまいた、この教育風土を礎に、歴史に学び、先人たちの思いまでも、しっかりと現代いまの地域づくりに活かそう。

 ここには子どもたちが主役になる場所がある。青年が期待され、活かされる場所がある。何よりお年寄りが敬愛される気風がある。

 我々は千年(持続可能)の集落づくりをめざそう。私たちとそして次の狩江人のために。

平成23年6月15日
地域づくり組織:かりとりもさくの会